解熱注射に泣いた。メキシコ・グアナファトへ1年生で留学しホームシックに(後編)

日記
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田口塾の西口です。
この記事は、前回の続きです!↓↓

メキシコ・グアナファトに大学1年生の時に語学留学した時のことです。

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病院送りの末、お尻に解熱注射を…

前編で書いたような状態により、心は完全にホームシックになり、3週間ほど経過すると身体にも異変が出てきました。

震えが止まらない

休日、ある先輩のステイ先におじゃまして何人かでおしゃべりをしていると、突然すごく寒くなってきました。

メキシコでは昼間は暑くて夜は寒いので、寒くなってきたなぁと思ったのですが、あまりに寒くて身体がカタカタ震え出しました。

「寒くないですか?」と先輩達に聞いたら、半袖短パンの先輩に「え、なんなら暑いよ」と言われました(笑)

最初は震えを隠していたのですが、その後もどんどん寒くなってきて、自分の身体だけ何かが明らかにマズいと気付きました。

それから、手足も身体も隠し切れないほどガタガタ震え出しました。熱を測ったら37.3度でした。

ひとまず先輩達がありったけの上着と布団を貸してくれて、病院に行くためのタクシーを呼んで待つ間、その部屋で横になっていました。

タクシーを待つ間、本当に震えが止まらなくて、息も絶え絶えで、だんだんと意識が朦朧としてきました。当時一緒にいた先輩からは、後に「あの時本当に七海ちゃん死ぬのかと思ったよ」と言われました(笑)

横になってから20分ほど経過して、もう一度熱を測ってみたら、なんと39.9度でした…!

20分間で37.3度→39.9度って、すごいスピードですよね(笑)

そしてママも駆けつけてくれ、ママと先輩2人と一緒にタクシーで病院に行きました。

注射は腕に打つか、腰に打つか

病院でお医者さんに診てもらうと、「喉の風邪とかだと思うよ」と言われました。そのテキトーさに、そういえばここはメキシコだったと思い出しました(笑)

すると、お医者さんが解熱の注射を打てと言うのです。

日本では熱が出た時に注射ってなかなかないですよね?しかもよりによってメキシコで、針を刺されて薬を注入されるなんて絶対に嫌だと思ったのですが…

同時に、朦朧とした意識の中で、メキシコに来たからには少しでもメキシコに馴染みたい、自分も同胞として認められたい、というような意地が生まれてきました。
全然馴染めていない自分が悔しくて。

それで、「わかりました」と答えてしまいました。

「注射は腕に打つのと腰に打つの、どっちがいい?」と聞かれました。腰に打ったことはないので、当然「腕」と答えました。

すると、「いや、薬の回りが速いのは腰だから腰に打つね」と言われました。

じゃあ聞くな!!!!(笑)

何度か「腕でお願い」と抵抗しましたが、全く効果はなく、早速硬いベッドにうつ伏せにされました。

ガタイのいい看護師さんが太そうな注射器を持って入ってきて、私の履いていたズボンなどをお尻の下までグッと下げました。

私はそれまでぐったりしていたのに、その瞬間、恐怖で後ろを振り返り「どこに打つの!?どこに打つの!?」と叫びました。看護師さんが「ここら辺」とテキトーに答えてきて、私は「やめて!やめてぇぇ!」と泣き叫んでいました。

間もなく、注射は腰なんかじゃなく、左ケツのとても柔らかいところにブスッと刺さりました。

めちゃくちゃ痛かったです。本当に痛かったのか、精神的苦痛で痛みが倍増したのかはわかりませんが、すごくすごく痛かったです。

注射が終わってから、お医者さんが落ち着くまで居ていいと言ってくれたので、その硬いベッドにうつ伏せのまま顔も伏せて、しばらく泣きました。

病院から家に帰るタクシーの中で、情けなくなって、窓際の席で窓の方を向いて静かに泣きました。

ママのハグと薬が効いた

家に着いて、自分の部屋に入る直前、ママに「ナナミ」と声をかけられました。

「ナナミ、ママはここにいるからね。何でも言いなさい。私はあんたのママだよ。愛してるよ!」

こう言ってママは熱いハグをしてくれたのです。

私はママの腕の中で号泣しました。自分の中のネガティブな感情が、じんわり溶けて流れ出ていくような気がしました。

そうして穏やかな気持ちのまま、一晩眠りました。

翌朝、熱を測ってみると、なんと35.7度…!

逆に下がりすぎでは!?注射で一体何を入れられたのか(笑)

身体のだるさは数日続いたものの、熱が37度を超えることはなく、そのまま回復しました。

強すぎる注射とママのハグのおかげで、その後はホームシックを感じることも少なく、帰国までは落ち着いた2週間を過ごすことができました。

ママや先輩達には多大なるご心配とご迷惑をおかけしましたが、みんな優しく面倒を見てくれていたので、今では自分自身のことをちゃんと許せています。

1年半後のリベンジ

とはいえ、この留学で味わった挫折はすごく大きなものでした。

海外に住むことは自分には合わないとわかり、好きだと思っていた”異文化交流”に苦手意識を持ち始めました。

また、留学中に現地の人たちに日本語を教える体験も何度かさせてもらったのですが、そこで「自分が教えたいのは日本語じゃない」と気付きました。よって、海外で日本語教師をするという数年来の夢ももちろん捨て去り、先が見えなくなりました。

メキシコも嫌いになったし、メキシコに置き残してきた弱い自分の影はさらに大嫌いでした。

だから大学2年生の夏から新しいバイトにチャレンジして、人に頼ることや自己開示することをたくさん学びました。

そして1年半が経った大学3年生の夏、グアナファトの同じホームステイ先に1人で行って、10日間泊めてもらいました。

リベンジ旅です。

ママともいろんな話が気軽にできました。留学中に出会っていたメキシコ人の友達や先生と再会したり、いろんな国の新しい友達ができたりして、本当に最高の旅でした。

かつての自分を更新したことを実感して、メキシコも自分のことも、好きになれました。

当時のインスタには、このように書いています。

メキシコと私はやっとお互いを受け入れ始めたと思います。あの時と比べて私は本当に変わりました。人ってこんなに成長するもんなんですね笑ずいぶんはやくスペイン語を習得したんだね!って言ってもらえたけど、それは違うの。こんなに話せるようになったのは私の頭じゃなくて、完全に開くことを覚えた私の心なのです。

2017.09.05

失敗は挽回のチャンス

この一連の経験を通してわかったことは、ミスをしたり自分を嫌いになったりする「嫌な経験」をしても、その後に挽回すれば、「最高の経験」に生まれ変わるということです。

それはきっと、ミスをしないで乗り切った場合の「良い経験」なんかよりも、はるかに素晴らしい糧になるはずです。

挑戦して失敗して、挑戦なんかしなくても日々失敗して、悔やんで、そんな人生でも、少しずつ少しずつ前に進んで挽回、挽回。

そうやって歳を取っていくことで、過去の自分に感謝しながら、将来の自分に感謝される今を生きようと思えるんじゃないかなと思います。

自戒を込めて。
以上、田口塾の西口でした!

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