映画『帰らない日曜日』コリンファースファンによる感想

Colin Firth
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田口塾の西口です。

『帰らない日曜日』を観てきました。

推しのコリン・ファースが出演していたからという理由で観に行ったのですが、映画に触発されて感想を言葉にしたくなったので、書いておこうと思います。

物語の重要な展開には言及していませんが、ほんの少しネタバレを含むので、未視聴かつ真っ新な気持ちで観たい方は読むのをご遠慮ください。

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置かれた社会との齟齬

誰も悪い人はいませんでした。皆が善良で、だからこそ誰のことも責められないつらさがあると思います。

ちなみに記しておくと、私は「禁断の恋」自体を悪だとは思っていません。それが誰かに対する裏切りになるとき、悪が含まれるんだと思います。

Jとポールの場合、エマの心はポールに向いておらず、逆も然りのように見えました。

ニヴン夫妻も他の夫妻もそのことに気付いていながら、それでも社会の流れに逆らえないこともあります。

物事が上手く回らないとき、必ずしも個々人が悪いとは限らない。社会がそうさせている。

戦争や身分制度のかかわる物語を見るたびにこう思うけれど、戦争も身分制度もない世界でも同じなんだよなと、考えさせられます。

They have no choice but to do it

ある道のスペシャリスト、特定の分野で類まれな実績を残す人には、「そうするしかない」という消極的な態度もあるのだと思います。

それを極めたいという前向きな思いだけではなくて、物語として昇華しなければやりすごすことのできない、心に溜まった泥みたいなものがある。

以前ビートルズのインタビューをまとめたドキュメンタリー本を読んだことがあるのですが、その中にも「音楽をやりたくてやってるわけじゃない。他のことができなかったから、仕方なくやってるんだ」という主旨の発言が書かれていました。

あの世界的アーティストであるビートルズでさえも、音楽への熱意だけでなく、音楽を武器にできるまでに既に失っていたものであったり、他の道への諦めであったり、そういう「渇き」があると思うのです。

Jはニヴン夫人に言われたように、守るものがないこと、つまり失ったことを武器にして、物語を書くことができたんだと思います。

個人的に気付いたこと

構成について、いろんな時期のシーンが少しずつ進んでいって、はじめは各シーンがどういう意味を持つのか明かされないけれど、終盤で話が繋がるというものでした。

そうそう、精巧な物語って、こういうの大事なんだよな、と思いながら観ていました。

また、元のタイトル『Mothering Sunday』に対して、邦題『帰らない日曜日』って、センス良すぎますよね……!

「帰らない」。これに全てが詰まっている。。

それから、シングルマンと重なるシーンがいくつかありました。

制作側の意図とかではなく、本当に個人的に感じたことなのですが、朝、ベッドから出るときの足や、動物が意味すること、コリンの “car accident” の発音など。覚えていないけど、もう少し他にもあった気がします。

最後に、これは深読みしすぎかもしれないし、見落としがあるかもしれないけど、ニヴン氏がわざわざJを連れてポールの家に行ったのには理由があると思います。

ひとつは、Jが一緒に行けば、ポールが残したものがあったとしても、見つからなかったことになるのではないかと。あったとしても見つけたくないから。それに、Jを一人にしておけなかったんじゃないかなとも感じました。ニヴン氏はいろいろと気付いていたと思います。

以上、『帰らない日曜日』についての感想でした。

コリンファンの中にはドはまりして3回くらい観に行っていた人もいましたし、私も好きな映画だなぁと思いました!

田口塾の西口でした!

Colin Firth
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