田口塾の西口です。
私は塾で現代文も担当しているのですが、現代文の試験で使われる文章というのは面白いものが多いですね。
興味深くて、わかりづらくなくて、かつその当時の若者に問題提起しているようなものが使われているので、読み甲斐があります。
今回の記事では、法政大学の現代文の過去問を授業で扱ったので、文章の内容や授業で伝えたこと、それを踏まえた考察を書いていきたいと思います。
文章の内容
今日扱ったのは、法政大学(法学部等)の2016年度の過去問です。
先週は第一問でしたが、今日は第二問をやりました。
鷲田清一氏の『しんがりの思想 反リーダーシップ論』から取られているこの文章では、「人が選び、選ばれること」について議論されています。
競争社会で人が選抜されること、その選抜の回数が人の人生においてかなり増えてきていること。
学校の試験のような選抜の場面では、自分自身ではなくてある一側面しか見られないから、その側面を持っていれば誰だって良いということとか、だからこそ自分の存在自体を肯定してくれる存在を探すこと。
恋愛や家族といった人間関係では、自分が選ばれに行くかどうか決められない(本文の言葉を借りると、恋愛の対象を選べない)ということ。
そして、人を選ぶということは、自分も選ばれるフィールドにいるのだと認めなければならないこと。
全体として「選び選ばれる」がテーマでありつつも、その中で色んな話題が出てきていましたね。
授業で伝えたこと
私はどんな授業でも、必ず各問題につき「正答率高そう」「これは難しい」「これができればよく読めた証拠だね」などのコメントをするようにしています。
それは、生徒が合格するためにその問題が絶対解けないとまずいのか、それとも間違っていてもあまり気にする必要がないのか、判断できるようにするためです。
今回の問題は、語句の意味を問う知識系問題以外は、答えを出しやすい設問だったかなと思いました。
語句の意味の問題は知っているかどうかなので、知らなければ即座にテキトーな選択肢を選んでしまって、時間を割かないことが重要でしたね。
考えてもわからない語句問題だったので、もうそれでいいのです笑
一方で本文の内容を問うような問題は、わりかし解きやすかったですね。
さきにも書きましたが、段落ごとに色んな話題が出てきていたので、それぞれの話題で登場したキーワードや表現が頭の中で整理されていれば、正解を選びやすくなりそうな問題だと思いました。
他の私立とかだと「この3つの選択肢ほぼ一緒じゃん笑」なんてことがよくありますが、それがあまりなかったかなと思います。
文章を読んで考えたこと
ここからは設問関係なく、文章の内容について考えたことを書いていきます。
まず深く共感できた箇所は、「居場所」についてです。
自分が「居場所がある」と思える時というのは、自分が少しでも誰かにとって意味がある存在である、そしてそれを確認できている状態です。
特に、匿名のメッセージでは心の支えになりづらい(もっとも、なるときはなると私は思うのですが)という点も踏まえて、他者にとって意味があることを「確認できている」という部分が、そうそう、そうなんだよなという感じです。
どんなに他者にとって意味のある存在になれていたとしても、自分がそれを実感できてないとだめなんですよね。
それから、私が文章を読んで引っかかったのが、恋愛の話のところで、三角関係になったらどちらかが選ばれてどちらかが選ばれないという部分です。
そこ?って感じですが笑
うーん、どちらも微妙に選ばれているみたいなパターンはある気がしますね。
それから恋愛においては、現代では相手との関係性が「カップルか、そうじゃないか」「結婚か、そうじゃないか」意外にも色々選べるようになっていると思います。
ただ同棲するだけとか、養子縁組にして家族になるとか(この記事には感動しました)。
それに、そもそもその人間関係が恋愛なのかそうでないのかという境目も、はっきりつけられるものではないと感じています。
まあそこまで話し出すと、今回の議論の範囲ではないですが笑
おわりに
というわけで今回は、現代文の授業で扱った法政大学の現代文の過去問について書いてみました。
何かご参考いただけるものがあったら嬉しいです!
それでは!