『真珠の耳飾りの少女』(Girl with a Pearl Earring)を見ました!
あの有名なフェルメールの絵が題材になっていて、絵のモデルになった少女・フェルメール・フェルメールの家族などをめぐるストーリーです。
実際にはあの絵がどういうストーリーをもって描かれたものかは不明らしいのですが、映画(および、その基になっている小説)は他の絵やフェルメールについてわかっている情報から想像して作られたフィクションだそうです。
例によって、感想を書いていきたいと思います。
※ネタバレ含みます
映画の見どころは、役者陣の繊細さ
スカーレット・ヨハンソンとコリン・ファースが美しすぎる、、!
激しくてわかりやすい表現じゃなく、微細で複雑な表現ができる2人だったからこそ、この映画は成り立っているなぁと感じました。
グリットが、雲の色を”yellow”と答えた瞬間のフェルメールの表情といったら、、、!!!
ほとんど変化していないけど、満足・感心・納得・愛などすべてを詰め込んだほんの少しの表情の変化。
もはや、リアクションしないというリアクション芸を持つのがコリン。
グリットも感情を言葉に出すことはほぼなく、そもそも発言量も少なくて、かつ笑うシーンも少ない少女だっただけに、表情とかしぐさとかそういうもの一つ一つで繊細にグリットを表現しているスカーレット・ヨハンソンは本当にすごいです。
直接言わないことを美しいとする、日本人の美的感覚にも通ずるところがありますね。
また、他の役者陣も、視線の柔らかさとか口元の感じとか、そういう細かい表現での演技が際立っていました。個人的には、同じような顔をしていることが多かったけどなんとなく視聴者に心情を伝えていた、いたずらっ子の存在もよかったなと思いました。
物語の鍵も、登場人物の繊細さ
演技の話ではなく物語としても、登場人物がいかに繊細な感覚を持っているかということが重要だったなと思います。
特にはっとしたのが、自身が描かれた絵を見たグリットの「心まで描くの?」というセリフ。
グリットは読み書き能力はないけど、感覚が優れていて、絵を見て深くまで理解できる人でした。肉の新鮮さ、窓を拭いてしまったら光が変わること、椅子のない方が絵がよくなること、そういうのが感覚的に分かったのです。
対してフェルメールの奥さんは、出来上がった絵を見て第一声の「汚らわしい」。そういう美的感覚のない女性だったんですね。
一人で芸術と向き合って商売をしていくというのは孤独な生き方だと思うのですが、そんなフェルメールのもとにグリットのような理解者が現れたら、たしかにああなってしまうのも納得だなと思ってしまいました。
フェルメールとグリットが恋を育んでいたかどうかは何ともいけないけど、互いに同じ感覚を持っていて、惹かれ合っていたことは確実でした。そういう曖昧で禁じられた関係もまた、美しいですね。
フェルメールの作品に通ずるポイントが盛りだくさん
真珠の耳飾りの少女の絵に限らず、フェルメールの作品に出てくるいろいろなものが映画の中にも登場してきていて、「あ、あの絵のアレだ!」ってなるのが面白いポイントですね。
私も映画を見る前はフェルメールのことをあまり知らなかったのですが、映画をきっかけに調べてみると、映画と作品がリンクする箇所がたくさんありました。
アトリエ内もそうだし、牛乳を注ぐ女のあの人もいたし、水差しを持つ女を描いているシーンもあったし、ラピスラズリの青を少女に買いに行かせるシーンもありました。
そういう他のフェルメール作品の中にもあの少女が生きていたのかと思うと、絵画の奥深さが感じられてきます。
最後に
以上、『真珠の耳飾りの少女』を観た感想でした。
コリン・ファースがあまりに魅力的すぎてずるいですね。
ロングヘア―で許せる男性はフェルメールのコリン・ファースとジャック・スパロウくらいですね。。笑
コメント
[…] シークレットサービスの、エグジーの義父役ジェフ・ベルは、2003年『真珠の耳飾りの少女』で精肉屋のおっちゃん役としてコリンと共演。 […]
[…] おまけですが、コリンは2003年には『真珠の耳飾りの少女』でフェルメール役を演じていて、今回は絵の鑑定士役でした。芸術がわかる繊細さと知性が似合うコリン、やっぱり最高ですねぇぇ! […]