この記事を見つけてしまったあなたは、どうか明るく前向きな自分を忘れずに、こっそりと読んでくださいね。
今回は、新卒で入社した渋谷のメガベンチャーを1年5ヶ月で辞めた理由について書きたいと思います。
経歴については、自己紹介をご覧いただければと思います。
もちろんポジティブに説明することはできます。
田口塾でできることが、私のやりたかったことにより近いからです。
これは本音だし、人に聞かれた場合もこう答えてます。
でも今回はそっちじゃなくてネガティブな側面に焦点を当てて、できるだけ隠さずに描いてみます。
公開するかずっと迷っていたけど、案外誰も見てねぇなと思って、公開してみることにしました。笑
未達は死
私は営業職でした。
営業には予算(=ノルマ)がつきものですが、予算設定は会社や扱う商材によって様々だと思います。
私の場合は月単位で予算があって、件数と金額の両方設定され、どちらも達成して初めて「達成」になるものでした。
例えば、5月の予算は8件受注、稼ぐ金額は1000万円みたいな感じです。
初めて予算を持ったのは1年目の7月で、この時はまだ完全な独り立ちではなかったので、予算とも呼び難いほどの低い予算でした。
私は研修期間から独り立ちするのが早くて、順調に進んで一旦達成はしました。
8月は少し予算が増えて、9月からはほとんど一人頭として普通の予算が与えられました。
しかし、8月は受注0件になってしまいました。調子が良かったところからいきなり落とされて、悔しかったし混乱していました。
この頃からスランプに陥ったのか、9月もうまくいかず、未達になってしまいました。
そこからも毎月頑張って、次こそは、次こそはと試行錯誤したり、めまぐるしく変わる組織に「次はこう変わったから、もっとうまくいくはず」と期待したりしながらやってきましたが、
同期が圧倒的成果を叩き出す中、
一つ上の先輩が賞を取る中、
同じチームの先輩が連続でハイ達成する中、
私は毎月未達でした。
ビジネスは成果が全てです。達成なんてできて当たり前です。
「達成してないのになんで普通の顔して出社できるの?」
営業職に対してのこの感覚が、少なくとも会社の中にはありました。
「毎月の達成ばかりに追われるような奴に、お客様は自分の人生を預けたいと思うか?」
達成していないという事実だけで、一番大事にしたいはずのお客様を大事にできていないんじゃないかって、悩み続けました。
「達成したことないのに、なぜ生きていられるの?」
自分で自分に、そう問い詰めていました。
もちろん月を重ねるごとに、ほんの少しずつ改善はあったと思います。
でも、成果にはなかなか反映されませんでした。
夢の中でなぜか速く走れないのと同じ感覚で、すごいスピードで走る人と同じくらいのエネルギーを投下しているはずなのに、実際のスピードが遅すぎて遅すぎて全然進めなくて、空回りして苦しかった。
10月から3月の間なんて、暗闇すぎて記憶が曖昧です。
覚えているのは、月1回くらいのペースでバーンアウトが来て、その度に会社に行けなくなって1日休んでたことと、
2月くらいに上長の前で初めて泣いて、辛さの一部を受け取ってもらったことくらいです。
4月には20卒が入社してきて、教育する立場になりました。
「2年目は1年目に教えることで自身も成長するから」
そう言われたしそう信じていました。
でも私が後輩に教えられることって何だったっけな。
結局4月からずっと新卒の教育には関わらせてもらったものの、他の教育担当の方々とは違って実績が何もなくて、その分信頼もなくて、何より自分から自分への信頼がなくて、後ろめたさや無力感と戦う日々でした。
そんな中で6月、昨年8月以来2度目の「受注0件」をやってしまったのです。
自他共に認めるハードワーカーだったし、一生懸命やってることはみんな知ってるよって言われるような私でした。
予算の達成を目指して、月の残業時間は80時間くらいを記録していたし、記録に残らない土日や勤務前後にもお客様とのやりとりもたくさんありました。
やる気がなくてこんな結果になっちゃったわけじゃないです。
でももう達成の仕方がわかりません。
達成したことがないから、未達にしかなったことがないから、もうどうしたら達成するのか考えることもできなくなっていました。
周りにもずっと相談し続けてきました。でも周りもわからなかったらしいです。なぜこんなに基本に忠実で、真面目で、勤勉で、ポジティブで、地頭も知識量もコミュ力も問題なさそうなのに、成果が出てこないのか。
「なんでだろうね…」
「もう一回、分析し直してみて」
これはもう聞き飽きました。
本当は助けて欲しかった。
そして7月。
6月の分を取り返すようにして、月初に自分史上最速でポンポンと受注が決まっていき、月半ばには受注ほぼ確な何件かを保持して、誰が見ても「今月はこのままいけば達成だね」と思える状態になりました。
自分でもこんなに手応えがあるのは初めてで、このまま気を抜かずに進めよう、月末が楽しみだ、なんて思えてきました。
ところがそうはいきませんでした。
月末ギリギリになって、既に達成はほぼ決まったという時に、
既に受注した1件が突然キャンセルになって、カウントから外されたのです。
未達が確定した。
その瞬間、大げさではなく、もう何も感じませんでした。
悔しいとも悲しいとも思いませんでした。
「無」になりました。
私は2019年8月から2020年7月まで丸1年、
12ヶ月連続で予算を達成できませんでした。
まともな予算を一度も達成できませんでした。
大変申し訳ございませんでした。
件数だけ達成できて金額が達成できなかった月もありました。
明らかに当月内に受注できるスケジュールだったのに、イレギュラーが起きて翌月1日の受注になってしまったこともありました。
それが当月内に受注できていればその月は達成でした。
あと1日。そのモヤモヤが最悪でした。
でも未達という事実は変わりません。
7月末に未達が確定したその日は休日で、次の日が出勤日だったのですが、心身の不調で出勤が難しかったので休みました。
その翌日と翌々日も休みにして、3日間くらいはひたすらぼーっと寝ていました。
さらにもう何日か休みにして、少しずつ動画を見たりLINEしたり、家事もできるようになっていきました。
このくらいのタイミングで、「どうしたい?」と旦那が聞いてくれて、「辞めたい」と伝えました。
そこからは早かったです。
田口塾に転職が決まって、上長やその上司に退職の旨を電話で伝えて、半日くらいで在宅で引き継ぎもやって、有給消化後の最短の日付で退職しました。
休み始めてからは一度も会社には行かなかったです。
「諦めるな」と言うけど、人生は諦めの連続だ
私から引き継がれたお客様で8月の受注がいくつか決まったらしく、上長からは「8月までやってたら達成してたよ」と報告をいただきました。
私が毎月未達でも、最後に休日を連続で取った時も、退職を伝えた時も、
追い出されるようなことは一度もありませんでした。
あともう少しだねって、みんな優しく応援してくれていたと思います。
もう少し続けてたら。
あともう少し諦めなければ。
そう思うかもしれません。
でも私は、決して全てをいっぺんに諦めたわけではありません。
人は取捨選択しながら大切なものを残すことで、それを本当に大切にできるのだと思います。
私が大切にしたかったのは家族であり、家族が大事に思ってくれる自分でした。
家族や自分の感情、幸福、ありたい姿、それらを守れる居場所。
そして「いのち」。
そうした大切なものを諦めないために、”良い”会社に勤めているという社会的地位、キレイな経歴、その会社での成功も、
両立できたら良かったけど、私にはどうやら難しかったから、
諦めることにしました。
働き方がブラックだったとか、人が多い環境が実はストレスだったとか、上司が合わなかったとか、イキイキと働いている人に出会えなかったとか、原因になりそうなことはたくさんあります。
それらは全部正解です。
でも、全部「それだけじゃない」です。
いろんな要因が重なったものなのです。
自責で捉えられるか、他責にせず自分ごととして改善していけるか、みたいな議論もありますが、自分も他も悪ではなかったと思うし、
合わないタイミングで合わない場所にいたら、どんなに自責で頑張っても効果が出ないと思います。
「頑張っていれば必ず誰かの悪役になる」と聞いたことがありますが、誰にでも必ず相性の悪い人がいるように、どんな会社でもどんな組織でも合わない人が一定数出ます。
それが私に当たってしまっただけで、私そのものや会社そのものが悪だったわけではないと思っています。
光を追うための影だと信じて
でも、前の会社で残してきてしまった反省点は、これからの仕事で改善したくて仕方ありません。
後悔がたくさんあります。あの時はもっとこうしておけばよかったとか。でもその時はできなかったのです。
その時の自分はちゃんと全力だったし、手を抜いてたわけじゃありません。
ただ冷静に考えられなかったのと、考えたとしても行動するだけのエネルギーが残っていませんでした。
最後の方の私はかなり疲弊していたけど、実は誰も気付かないうちに、もっと前から消耗しきっていたのかもしれないと思います。
何事にも光と影があります。
これを読んだあなたからすると、先に影が生まれて、そこに光がついてきたような印象かもしれませんね。
どちらが先かを議論する必要はないと思うのです。
できればしないままにして、しばらくそっとしておいてください。
これから、さらなる光を追い求めるために、この影の部分は大事に自分の中にしまっておこうと思います。
コメント
[…] あとは、新卒で1社目に入った会社ですね。入社当時は合っていると思い込んでいましたが、今振り返れば合っていなかったんじゃないかなと思います。 […]
[…] 7月 精神的に最もキツくなりながらも、営業目標の達成に最も近かった月です。月末に結婚!その直後、結局達成しない流れになりダメになりました(詳しくはこちらをご覧ください)。7月最終日か8月1日あたりに退職を申し出たと思います。 […]